山田耕筰紹介
山田耕筰の軌跡

幼少(10歳)の時に父が亡くなり巣鴨の自営館で印刷の仕事しながら家計を助けました。13歳の時に肋膜炎で生死をさまよったが回復し、その後15歳の時に姉夫妻引き取られ、そこで義兄より西洋音楽を教えられる。
16歳の時、関西学院中等部に転向し、18歳に東京音楽大学(現東京芸大)予科に入学、翌年本科の声楽科に進級。
24歳の2月に岩崎小弥太の援助を受けドイツに留学。
27歳で帰国後、29歳の時、東京フィルハーモニー管弦楽部第1回公演を行い、31歳の時、アメリカ、カーネギーホールで演奏会を行い、34歳の時、日本楽劇協会を設立、36歳の時、東京市民合唱団を組織、39歳の時に日本交響楽協会を創立した。
50歳の時、レジオン・ドヌール勲章授与、54歳の時、朝日文化賞授与、64歳の時、放送文化賞授与、70歳の時、文化勲章を授与された。
79歳(昭和40年12月29日)に、心筋梗塞のため他界。 交響曲やピアノ協奏曲、オペラ、オラトリオ、その他歌曲など、生涯で4000曲に上る作曲活動を行うなど、日本近代音楽基礎を作った偉大な作曲家である。